採用ぶった切り

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仕事と遊びと習慣の境界線

 

 

 

 

仕事と遊びの境界線な、なくなってきたみたいな話を、ホリエモンとか落合陽一とか、

 

 

 

 

意識高い界隈の方々がしていることが多くなりました。

 

 

 

ぼくも最近その通りだなぁと思っていて、

 

 

 

 

でもそのことに気づいていない人も多いですね。

 

 

 

 

例えば、東京オリンピックのボランティアは、

 

 

 

文字通りボランティアなので、無償です。

 

 

 

 

しかし、「金貰われへんのに、なんで働くのか意味が分からない」みたいな声が、僕の周りは多かったです。

 

 

 

 

 

でも、僕はやりたいんですよね。

 

 

 

大阪だから行きませんが、近かったらボランティアやりたいです。

 

 

 

 

週2、3時間〜くらいで。

 

 

 

 

 

これって別に遊び感覚です。

 

 

 

でも、やりたくない人からすれば、仕事っぽい。

 

 

 

 

 

 

逆に、

 

 

 

意味わからないと言ってる人は、お金を払ってディズニーランドとかに行くわけですが、

 

 

 

 

僕はお金をもらっても、あんまりディズニーランドには行きたくない。

 

 

 

 

タダでディズニーランドに行けるか、東京オリンピックのボランティアに行けるかだったら、

 

 

 

余裕で後者ですね。

 

 

 

もうこの時点で、

 

 

 

 

仕事ってなに?って感じです。

 

 

 

 

自分にとって嫌なこと

 

 

 

 

という定義なら、僕はディズニーランドとか、行きたくない飲み会とかも仕事です。

 

 

 

 

お金もらえませんが。

 

 

 

 

 

このブログは遊びです。

 

 

 

 

 

でも、仕事のことを考えているから、多分仕事にも活きているはずです。

 

 

 

 

 

僕からすれば家の掃除は、歯磨きみたいなもので、

 

 

 

 

妻は掃除めっちゃ嫌がるので、1人でやってます。

 

 

 

 

でも、別に「してやってる!」みたいには思ってません。

 

 

 

 

 

遊び、習慣ですから。

 

 

 

 

収拾がつかなくなってきましたが、

 

 

 

 

 

 

とにかく、仕事、遊び、習慣と区別するのではなく、

 

 

 

 

 

やりたいこと、やりたくないこと、

 

 

 

 

 

と、考えた方が良さそう。

 

 

 

 

 

だから、仕事という言葉は、もうすぐ死語となる。

 

 

 

 

というのが僕の結論です。