ブラック企業と、普通の企業の、歴史的評価が気になる。
例えば僕たちは、
ギリシアの奴隷を可哀想な人達だと理解します。
十字軍を、神とかいう嘘っぱちに騙された馬鹿たちだと理解します。
戦時中の日本軍を、頭の悪い根性論の集団だと理解します。
ナチスドイツを、訳の分からない差別をする集団だと理解します。
それに比べて自分たちは、
理性的で、科学的なエビデンスに基づき、極めて合理的な判断をしている。
口に出すかどうか、明確に思考するかどうかは置いておいて、
そのように考えているのではないでしょうか。
でも、
最初にあげた過去の人達も、
きっと同じように考えていたはず。
私たちがもし過去に生まれていたら、
自分のことを馬鹿で、頭が悪くて、訳の分からないやつだなんて思うはずがありません。
同じ人間ですからね。
では、現代を未来人が歴史として見るなら、
どんな評価になるでしょうか。
例えばブラック企業。
とは言わなくても、企業で、ハンコの角度を気にしている人や、肩書きから「代理」を外すことに躍起になっている人。
あらゆる人達に「お世話になって」いる人。
名刺交換の仕方を、マナー講師から学ぶ人。
行きたくない飲み会に行く人。
きっと、
「21世紀では会社という架空の存在を神のように崇め、その中の序列に価値があると考えられていた。
序列が上がれば紙幣という架空の数値が、銀行口座の数字になり、それは食料や住居、衣服などと交換されるという風習があった。
しかし交換されるもの数値は、その栄養素や安全性、品質よりも、それらがいかに多くの場所で、かつ煌びやかに宣伝されているか(もしくはその商品が売られる場所で、扉を開けるために巨漢の男性が立っているかどうか)で決まっていた。
序列を上げるためには、カードの交換の所作が美しいことや、話し言葉に誤りがないこと、ハンコという紋章を綺麗に押すこと、さらに序列が上の人物に入れられた、酒という判断力を弱め人体を危険にさらす飲料を多く飲むことが重要であった。」
そんな説明がされるのではないでしょうか。
こうやって見ると、歴史上の得意な風習を持った部族と、私たちは変わらないようですね。
本当に理性的なのか、よくわかりませんね。
ブラック企業も、普通の企業も。
社会人の常識。
みたいな言葉はブラック企業ではよく言われていて、
普通の企業でも言われていて、
それが人を追い詰めていたりしますが、
もっと自由に考えてもいいのになぁ
そんな風に思うこの頃でした。